マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

技術が進み過ぎて、価値観の変化が間に合わない世の中になっている気がする

【物事の効率化=仕事が減る】

とくに製造業などは顕著だ。TVの取材などで見る、大手食品工場にある卵割りマシーンはめちゃくちゃ速い。千手観音でもこんな数は割れないんじゃないか?というレベルでバンバン割って工程に流している。

人間の本気の操作速度というのは機械にとってはチンタラやっているようなものだ。

でも実際の速度を自分は知らないので、割卵機専門メーカーのHPを参照してみた。

www.tsk-mc.jp

こんなコンサルティング会社があるのかよ・・・という感じだが、見てみるとなかなか興味深い。実際のスピードがあったので引用してみよう。

◆ 共和機械割卵機( 36000卵~39600個/分)高速割卵機
◆ QP割卵機(36000卵/時)高速割卵機

 1分間に36000個。1秒あたりに換算すれば600個だ。もはや人間でできていたらそいつは人間じゃない。当然、こんなところに人を雇えば赤字になるし衛生問題なども考えれば間違いなくデメリットしかない。

だが、工場に人はいる。人にできて機械にできないこと。それは仕組みを作ることという仕事があるからだ。しかし、その数もドンドン減るようになってくる。

技術を上げれば上げるほど、楽をする仕組みを作るための前提知識を習得できる人間の割合は減るからだ。

大学で前提の知識を習得したり、現場で長い修業を積まないと分からないことが多い。当然そこには教育コストもかかるし、面接などで技術を確実に習得できるのか?ということをしっかり見極めなければ途中でドロップアウトする場合も珍しくない。

だからこそ、仕組みを作る人間というのが相当高度化していかざるを得ず、いままでなんとかなっているレベルの人はついていけないのは必然の流れとなっていく。

ということは、「高度化しすぎて誰もが仕事に就けるわけではない」時代が来ることは想定しなくてはいけないのだ。

 

【働かなくてはいけないと思い込むことが前提の社会

本当は、どうせ仕事なんてなくなるんだから大半の人が「働くための仕事がない」といいながら遊んで暮らすみたいなのが一般的になるんじゃないかと思っていた。世の中の動きとしてはまだそんな感じはない。

ただ、現時点では完全に自動化できない部分があり、これからドンドン高度すぎるレベル以外の仕事がなくなっていく過渡期の時代となっている途中だから「就職する」ということがまだかろうじて可能な時代を保っているのだと思う。

あまりにも高度すぎると、今度は就職活動自体がなくなって遊んでいても暮らせる仕組みを作る必要がある。そこが「ベーシック・インカム」とかの考えにつながってくるのだ。

だが、今の技術の進歩はすごく早い。

車だって、最初は馬車だ。自動で動く機関を作らずに移動せざるを得なかった。

もっというなら、日本の江戸時代は東海道五十三次というものがあった。それは、あの気が狂うような距離を徒歩という一番原始的な移動方法で動いていたという事実があるからだ。籠や船があるじゃねえか!みたいな意見があるかもしれないが、そんなに速い速度で動かせるほどの技術はないし、交通としては便利ではなかった。その時代には不便な状態を改善するためにみんなで道などを整備してきたのだ。

 

その改善の積み重ねで、今は飛行機、船、新幹線の陸・海・空をすべてカバーできる。

移動するだけでなく、船に至っては世界一周をしても下手な家なんかよりも快適に過ごせる豪華客船なんてものもある。

どのくらい先なのかは分からないが、まじめにテレポートやワープの技術というのは具現化される可能性があるんじゃないのかな?という気はしている。

もしテレポート/ワープの技術が本当に具現化されたらトラック運転手をはじめ、運送業にはワープ装置にモノを通し、今まで使っていたトラックなんて過去の産物にはサヨナラしなくてはいけない。当然、そこで運転していた人たちもいらなくなるわけですよ。

ということは、技術が高度化しすぎるということは仕事がまともにみんな持てるなんて状態のは幻想なんですよ。テレポート装置を本気で作れる人・管理できる人だけがいれば十分ですよ。

でも、人口は急に減らないわけだ。そこで無理やり仕事を作ると圧倒的に無駄なことをやるしかない。そして、貨幣経済を急にやめるなんて話があれば別だが、そうでない可能性が高いので死なないためにはお金を稼いで食い物を買わなければいけないわけだ。

だが、物理的に仕事がなければ価値を生み出せないのでみんな貧困になっていく。

街はホームレスがあふれ、失業者が増えすぎてどんどん治安が悪くなる。

それを防ぐためにみんなが暮らせる仕組みを作ろうと考えているのがベーシック・インカムなのだが、「働かなくては食っていけない」と頑なにと考えると過当競争を前提に社会が動く羽目になる。

当然、そういう人の頭の中には「ベーシックインカムだけではなく、そのうえ労働収入がある前提でないと生活できないような物価設定まで値段を吊り上げなければいけない」という発想が浮かんでくると思うんですよ。

だって、「俺だけ働いているのに、なんでお前ら遊んでいるの?」みたいな感じになるだろうし、技術が高度化しすぎた状態での過当競争なんかに巻き込まれたくない人が増えている中での勝利者ってよっぽどの人だと思うからそんな低い意識の奴なんて叩き潰してやろうってなる人が多くなるんじゃないかなって。

【そもそも、僕たちの定年ってどういう状態なんだ?】

もう20年くらいは過渡期で仕事を作れるギリギリの状態を保てるとは思うけど、自分含め今の20代があと40年もまともに働けるだけの仕事が作れるほど世の中に改善できる場所があるんだろうかって気がしてならないんですよ。

今だって、就職できないやついっぱいいる時点でもう厳しい感じがする。

自分はその関係の背景知識も細かい業界情報なんかも全然わからないからあくまでデタラメの感覚で言っているだけなのだが、40年も先なんて時代が変わりすぎていて今までの常識を持っていたら間違いなくやっていけないと思うんだよね。

下手すれば年金引き延ばしの関係でばサラリーマンの定年が75歳になるんじゃないかって噂がある前提で考えれば、あと50年も同じ価値観を持ち続けるのかい?というのが正直ある。考えてみよう、今から50年前って1967年。当時、ロンドンに初めてのATMができた時代だ。

当然、世界初なので当時の日本になんかATMなんてあるわけがないんですよ。ちょっとお休みの日に金おろそうなんて発想持てるわけじゃないですか。だいたいクソめんどくさい窓口で銀行印が前提だ。

だからこそ、50年後までサラリーマンという職業があるかどうかなんて怪しいかもしれない。自分もそんなことを頭の片隅に思いながら生きていこうかなと考えた。