マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

考えを書くということをやめてしまうわけにはいかない。

ろくな議題が思いつかない以前の話をしていきたい。ぶっちゃけ、今回の記事はあまり読むに値しないが、頭の中をアウトプットするという目的として動かしている。

 

最近、「ブログを書く」ということが著しく弱くなっている気がする。

短い文章だけでつぶやけるTwitterも前ほどつぶやいていない。

 

そう、おそらくインプット自体が昔に比べて少なくなっていることが原因ではないかと思う。要するに、学ぶことを怠ってしまっている。

非常にまずい。新しい情報がろくに入らない。考えることをやめたら終わりだ。

そこで本を読もうとするが、うまく読めない。おそらく集中力が続いていないのではないかと思う。

いろんなことに対して興味を持とうとしていたはずなのに、このざまだ。

自分であれだけ「好奇心を失ったものはバカだ」みたいなことを言っていたはずなのに、そんな存在にドンドンなりつつある。

 

心の原動力がかなり弱くなっているような気がする。完全に落ちてしまっているわけではないが、かろうじて現状維持をしているような感じが否めない。

 

ただただ焦りだけが自分を襲っているが、思っている以上に行動などはできていない。

考えることを辞めるということはマイノリティ雑貨店をやめることと同義だ。

考えたことをアウトプットするのがブログだというが、現状は開店休業中の白い板切れだ。

 

そして本日気が付いたことがある。

毎日、考えがまとまらないと思ったら一度はボーっとすることも大事なのではないだろうか。もしくは無心にペンやキーボードに手をかけてみる。これだけでもだいぶ違う。

物事を吐き出すためには心の余裕が必要になる。

 

そう、2年くらい前はもっと心に余裕があった気がする。だからこそ、いろんな本やブログを引用しながらいろんな文章をもっと書けていたんだと思う。

もちろん、本の習得効率が段違いであったことも間違いない。

ただし、自分の場合は医学的なうつ病の症状とかではない。

おそらく無気力な状態を続けたツケが今になってきたのではないかと思う。

 

だが、無意味だと思っていてもひたすら書き続けたり表現することは大事だ。

何もしていないときよりもだんだん活き活きしてきたような気がする。そう、無意味な文章を書き続けているとなぜか学ぶ意欲が出てきた。

もちろん当時の水準ではなく、今からすればかなり調子が良くなっている兆候が出ているのだ。いわば書くための準備運動を今まさに行っている。

 

こんな記事を書くんじゃない!という声もあるが、あまりにも脳内の文章を書く・生み出すということをあまりにもやらなすぎた。

起承転結もクソもないことは自覚している。頭の中があまりにも混沌としすぎていて非常によろしくない状態だ。このクソみたいな作業をもとにもう少し脳内を整頓できれば儲けものではないだろうか。

 

とりあえず、今回はこれで終了としよう。