マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

「ふつう」の基準と脅迫じみた訓告

「おまえは社会に出たらやっていけない」の呪い


「お礼がちゃんと言えるようになるのは何歳からか」
「友達と喧嘩しないで堪えるようになるのは何歳からか」
「言われなくても一人で勉強するのは」
「恋人ができるのは」
「初体験」
「上司の指示に従えるか」
「場の空気を読めるか」

これらについては、何歳で出来るか、何を持って出来るとするか、については議論の余地が沢山ある。
にも関わらず「これが出来るのが普通」という了解だけがある。
だからこういった基準に添えているか添えていないか、子供の身長体重の発育と同じ位の執着が発生する。
僕は二人の子供の親として経験したからよくわかるし、親でなくともこういった執着を内部外部のプレッシャーとして感じ取った事のある人は多いと思う。
「容姿の良し悪し」なんかも顕著な例
僕の問題意識は、そういった執着があること、と言うよりも
その執着を利用して他人を操ろうとする人がいる事に向かう。

正常であろうとする事、それにこだわり執着するのは悪くない事だと思う。
他人と真っ当にやっていきたいと願う正当な祈りだ。

問題は「お前は正常ではないから正常である俺に従え」と言う人の存在。

ここでやりたいのは、一言で言えば社会に出たことの無い子供に「お前は社会に出たらやってけない」と呪いをかけて主導権握る人の発見とその追放。



基本的に、人はまとも(普通?)になろうと考えている。だが、それができる年齢は人によって違う。ただし、その中でもできる年齢などの基準はきれいに定まっていない割に、結果だけは強要されることが多い。
発達が偏りがちな人だとよりその傾向は強くされてしまうため、その呪縛に陥りやすい。最低限の基準が不明瞭な割にハードルが高いというのは早く成長している人には別に問題ないが、そうでもない人には地獄の状態だ。

「お前は正常ではないから正常である俺に従え」という人
いるかいないか。で言えばいる。

例えばDVの加害者はこういう言葉を使う
「お前は不細工だから俺が面倒をみてやっている」
「お前は社会的に劣っているから俺から離れたらやっていけない」
「自分で部屋を借りる?キミみたいなのに不動産屋は貸してくれない」



このケースの場合、正常という言葉がDV加害者本人の基準(=会社に所属して給料を貰っている)なので、暴力や脅迫をしているという犯罪をしている自覚が全くない。

もし、あったとしてもそれは「教育」としての観点であり、行われるべきしつけと勘違いしている。

当然、本人は「矯正してあげているつもり」なので被害者が逃げたら「言っても分からない馬鹿だから殴らないとダメ」くらいにしか思ってない。だから躾け直すためにストーカーして相談所に乗り込んでくるのである。
馬鹿はどっちだよ。上司と部下の関係でも同じことが言える。親と子どもでも同じだ。
そして、親と子供の関係の場合では「アダルトチルドレン(AC)」という診断が子供につけられることになっている。

立場の強いものと弱い者の積み合わせでは常に起こりうる事態であると思ってくれればいいだろう。

こういう技は率直に言ってアンフェアだ。
若年者、とくに子供は当たり前だけど世の中の普通に対しての情報が少ない。
にも関わらず、普通である事への執着は老いも若きも”普通”誰もが持ってるんだから、
そこから外れる恐怖をこういう呪いで突かれたら、条件さえそろえば主導権を奪われるよね。 

じゃあ仮に、このように呪われた対象者が正すべき「普通で無さ」を持っていたとしてだ、
どうして恐怖を持ってそれを正すのが正しいやり方と言えるのか、
「算数が出来ないと社会でやっていけない」って脅さないと人は算数を勉強しないのか
”普通”はもっとやり方がある。例えば算数の楽しさを教えるとか。

ベストでない教育法を、さもベストであるかのように用いる。なぜそうしたいか
それは自分が支配をする側に回りたいから、としか思えない。
こういう人は自分の為に世の中の正義を使っている。



世の中で言われる"普通"はなんだかんだで6割くらいに通じてしまう分、加害者は意外と周りに敵を作りにくいのも問題を厄介にしている。

特に、この国は固定の価値観(世間体でも可)が横行しやすい。普通の同調圧力に拍車がかかるため、本当はそうでもないのに自己責任と言われてしまう被害者がいるわけだ。
一応言っておくと、世の中の正義が全国民の正義であるはずがない。

特に、ブラック企業では無茶苦茶な論理が通じる。生活費を盾に脅されている弱い立場に晒されているためだ。住宅ローンなんか組んでいればもういい餌食になる。

何をもって普通か普通で無いか、と言うのは終わらない議論で、下手すれば負ける可能性だってあるし大抵この手の呪術者は立場が上である事があるので普通の普通さを政治的に決められてしまう事もありうる。



終わらない議論はどうでもいいのだけど、立場が上という点で議論や生き方の主導権を加害者側に持たれてしまっているわけだ。

当然まともにやりあっても勝ち目のある方法ではない。ここ最近、話題になっている固定残業代制度の検討なんて、完全に上の立場で物を決めている人と、労働者としての国民の関係で主従関係ができてしまっている。
下手すれば、うまく残業代をゼロにされてしまう可能性だってある。

「一人前でもないのに残業代など払うか!」なんていうことが法律的にOKになったらもう終わりだ。
しかも、一人前の基準というのが明確に示されず、上役だけの機嫌や感覚だけで運用されているとしたら目的も分からずがむしゃらにやってつぶれてしまうことにつながる。

国の政策に関してはここらへんで止めておくが、自分の周りの固定の価値観だけではどうにもうまくいかなくなってしまう。

だからいろんな情報を得て、たくさんの価値観を取り込み、いいと思ったものを採用していけばいいのだ。だから、気に入らなすぎる忠告は早い話ある程度スルーしちゃえばいい。

自分が話していることも気に食わないなら別にスルーしてくれればいい。気に食わない人に分かってもらおうなんて思ってはいないのでこちらとしても苦労コストが下がってwin-winだ。

小さな組織がいろんなところでできているのも狭い価値観がいやになってきた人が増えてきたからだと考えている。