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マイノリティ雑貨店

社会に関すること、自動車、発達障害などを扱うブログです。社会ブログなのか、車ブログなのかよく分からなくなってきました。

コミュニケーションコストの高さについて追求してみる

くだらないつぶやき 社会などの風潮

本人は普通にコミュニケーションしているつもりでも、 「なんかうまくいかないなぁ・・」という感覚のことをこれからコミュニケーションコストという概念で説明していきたいと思う。

コミュ障という言葉がある。コミュニケーション能力が不足しているとみなされているからこんな表現が出てくる。

個人的に考えているのはコミュ力って相対的なものじゃないの?ってことだ。

落ち着いた状況や親しい友人の中でなら話せるけど、知らない人や違うグループ、面接やビジネス関係の人とかだとコミュニケーションが取れていないと評価される。自分が得た知識や交渉スキル、経験によってコミュニケーションの能力が伸ばされることはあるけど、最近はその習得ハードルがえらいあがっている気がする。

 

そう、コミュニケーションコストを上げているやつがどこかにいるんですよ。

( 長い文字をいちいち書くのが面倒なので、これから「コミュコスト」と略させてもらおう。)

 戦犯たちとして考えられるのは大きく分けて4タイプの人に分かれるんじゃないかと思う。

1.もともと気が利く性格で、相手にもそれを非言語で求める人たち

2.我慢強い人(=奴隷根性が身についている人)

3.プライドが高く、世間体がいい人

4.就職活動の関連で飯を食っている人たち

 

もちろん、犯人を見つけたところでどうにでもなるわけではないがどういう仕組みでこのような社会になったのかという考察としての材料になるのではないかと思う。

そして、この4タイプの人たちに共通するのは「変人に慣れていない」ことだと思う。

一般的にコミュ力があると言われている人たちなので、集まってくる仲間も基本的には似たようなタイプな人たちで構成される。

とくに、1番のタイプの人と話すとわかるのだが、仲間内以外においてフラットな態度で話されることが本当に苦手なんだなということを感じさせられる。

よくも悪くも猫をかぶるので外面はすごくよく、企業では欲しい人材として扱われることが多い。

敵意とまでは言われないが、どうにも話しかけられることに慣れていない様な感じだ。自分の場合、結構老人やごつい兄ちゃんとかのような人に道を聞かれたり、写真撮ってくれよ!とかそういうことをいきなり頼まれたりすることが多い。

(結構、この意見は微妙なんだろうけど。)

頻度が多いので個人的にはあんまり抵抗がなくなってきているのだが、コミュコストの高い人たちというのはそういうことを頼みにくい雰囲気がある。

頼まれても「え?」みたいな感じになることが多い。

1番とパターンとしてコミュコストが高いという傾向はアクティブなチャラい人というよりは、おとなしい感じのチャラい人か、クラスの人気者といった感じがある。

体育会系の高学歴な人にもこのタイプが多く、上司に気を使ってきた文化を部下にも受け継がせようとしている。言わなくてもできることを要求するのだ。当然、事務処理能力も高くなければいけない。

そうすると、三沢さんがユリ熊嵐に出てくる針島薫に対してキレ気味になっていたのはは十分納得がいく。

 

2番の人はカリスマ性や要領のよさはないものの、同調性や忍耐力で世を渡っていけてる人たちだ。 微妙に雰囲気は違えど1番、2番とともに日本のスタンダードな存在となっているのは確かだ。

また、同調性があるので同じ考えを持った仲間を作ることは得意。それを盾に「みんなやってるだろ!」と言う事で自分が有利になることを本能的に知っているのだ。

もちろん、その仲間と本質的に仲がいいかどうかは別問題よ?

そしてその状態から逃げようとする人をさらに責める。そうしないと自分の存在価値を否定されたも同然だからだ。

なぜこのコミュコストの上昇状態を止められないかといえば、片方がコミュコストを必死に下げようとしても、相手側がそれに応じまいと抵抗している状態になっているせいだ。いわゆるコミュコストの綱引き状態になっている。

しかも、妥協点が見つかっているとは到底いえるものではなく向こう側に引きずり出されるか、社会的に脱落 or 独自路線を歩むということに落ち着く。

3番の人は?というと、2番の人がそのまま出世した状態だと思ってくれればよい。

 

ただ、異質なのは4番だ。これは日本独自の民族意識の発祥ではなく、産業構造上の要求によって生み出されている。

就活広告屋の飯のネタを無理やり作り、産業としてなりたたせている。マナー! コミュ力!と無駄に煽ることは、大企業側にとっては要領のいい体育会の学生を集めやすいので嬉しいことなのだ。

これは選考基準をあげることにより、多数の応募のフィルタリングとしての機能にも一役買っている。そう、両方の利害が一致しているのですよ。

 

学生もそれに応じてコミュコストが自然とあがっていく。しかも、もともとコミュコストが高いような人たちにとっては内定取り放題(は言い過ぎだけど)のパラダイスなのだ。世間体を重んじることが多い優秀な女性は男性よりももっと強力な状態ではないだろうか。

学生の両親も社会人でバリバリやる息子や娘になることを願っているため、コミュコストが上がる状態に適応させることを厭わない状態に自然となっている。親の年収が減っている現代においてはなおさらだ。

これから考えると、よっぽど独自の技術がないとゆるい生き方としての逃げ場がなくなるってことなんですよ。

世間がコミュコストをあげることを要求している以上、そういった圧力のないところを探したり産み出したりしない限り、同調圧力に病む人はもっと増えることは間違いない。