「バカ」とか「賢い」って分野によると思うんだ
賢さを定義するのって難しい。「あいつはバカ」「あの人、超頭いい」とか割と主観で決められている。
何をもっていいと思うのか、人や職場によって判断基準が違う。その人の動きやすい集団とか環境によっても賢さを発揮できる度合いも変わってくるので、単一の基準で決めるというのは非常にナンセンスな議論である。
だから、アメリカとかそういう人たちがどういうところで活躍できるのかを見極めて、そこで働く人が持つ能力を発揮させることがうまいような気がする。例えば自閉傾向のある優秀なシリコンバレーの技術者が、日本企業の営業職にいったら間違いなく「コミュ力がダメ、空気の読めない奴」とレッテルを貼られてしまうと思う。
日本では、価値観を均一化する傾向にあるが、そんなことをしていると様々な環境に対応できる人間が減ってしまうような気がしてならない。
・賢さやバカを表現する言葉一覧
「頭の回転が速い/遅い」 「博識/ものを知らない」 「機転が利く/利かない」 「トリアタマ」 「融通がきく/きかない」 「立ち回りがうまい/下手」 「思慮深い/浅はか」 「教養(常識)がある/ない」
「計算が速い/遅い」 「論理的」 「ずれている」 「発想力がある/ない」 「文章がうまい」
「頭がキレる」 「予測が上手/下手」
ほんの一例だが、これだけの言葉で表せる。他にも出そうと思えば出せるが、ここは広辞苑や明鏡辞典じゃないのでこれ以上は割愛しよう。
これらを見てもらうと、賢さの基準というものは複合的な要素がからまっており、組み合わせて見た印象から人は対象を「賢い/バカ」として評価しているのではないかなと思う。
もちろん、大学などで評価される能力と、仕事で評価される能力は違うので、学校で1番の優等生が仕事ではまるで使えない人である可能性は十分にあるのだ。
努力すればできるというのは、間違いでもあり、正解でもある。だけど、もともとの潜在能力(ギフトと表現する)は能力を伸ばす上では人それぞれ違うので同じ物差しで測ってしまうと、過大評価や過小評価の原因になるので、しっかりその人物を観察し、「強み」などを分かる必要があるのかもしれない。
だから、いろんな知能試験で数値化してるんだな。 病院では知能試験は1つじゃないからより組み合わせれば多面的な方向から人を見ることができる。
どうでもいいけど、頭の回転がすべるという表現って流行らないのかな?