マイノリティ雑貨店

自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

ママ友という格差社会

僕のまわりの田舎の社会ではあまりその風潮はなかったが、ちょっと話していきたいと思う。
ママ友はよく「ホンマでっか!?」でとりあげられる。聞いている限り割と上流の社会で起こりやすい現象のようだ。
小学生の子供を持つ母親たちはいろんな情報を得たりするため、グループの中でうまくやって行く必要がある。なぜなら、グループの中ではボスママという存在がおり、その人の空気に合わせないといけない。
きっちりとした組織ではないが、動きとしてはすごく組織的だ。

もし、ボスの機嫌を損ねればどうなるのだろうか? 根も葉もないうわさを流されて、子供がいじめにあったりするリスクが出てきてしまう。これは非常に怖い。子供の人格形成に明らかな影響をもたらすといっても過言じゃない。また、カースト(ママ友社会での地位)は夫の収入と勤務先、本人の性格と子供の能力で決まる。気が強いほどボスになりやすいというのは普遍的かもしれない。

夫の収入は高く、勤務先は「世間体のいいもの」でないといけない。それに、子供も優秀であること。
話が面倒になるので、夫の収入は良い前提でいく。そうすると、子供にかける教育費というのは必然的に高くなる。基本的に学力と収入は正の相関性があるが、子供がそれにこたえられるかどうかは別の問題である。

もし、答えられないと母親は周りと比べて焦ってしまう。この焦りは子供にも伝わってくる。そして、子供は薄々気づいてしまうのだ。 「僕はお母さんの見栄張り道具なの?」と。
もちろんだが、子供に罪はない。 習い事や苦手な勉強などやりたくないものを「俺は嫌」と言えない空気が親子間に広がるのはあまりにも健全ではない。母親もその状態が健全ではないのは薄々気づいているのだが、周りの空気には逆らえないので、子供に対し無意識の圧力をかけてしまうのだ。

意識の高い奥様自身は個人で完結している分にはとくに問題ない。だが、それを空気として蔓延させていることが問題なのだ。親に期待され過ぎている子供は見るからに疲れた表情をしている。
これが重症化すると、かのアダルトチルドレン(通称AC)の特性をもつようになってしまう。
自然体でいくとグループから外されることと、子供の意見の尊重のどちらを重視すべきか考えなくてはいけない。エリートといえば聞こえはいいが、「無理前提コース」というリスクであることは肝に銘じておく必要がある。

もちろん、子供が「こんなことやりたい!」と言えば体験させてあげることはいい体験になると思う。その結果が良いにしろ、悪いにしろ。