頑張らないことはカッコ悪いの?
会社員の中には「頑張る(頑張り過ぎる)=カッコいい」と思っている人がいる。何百時間残業しただの、自分の成長の勉強のためにまったく寝ていない。酒に弱いのに、飲んでたら強くなったみたいなことだ。
(なお、飲んで強くなったと思っている人は「アルコールの強要がとんでもない理由」の記事を読むと実際に強くなったわけではないということが分かる)
過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉がある。
これは「何事もほどほどが肝心であり、やりすぎは害になる」ということだ。これから考えると、頑張りすぎることも毒(もしくは害)になる。その対策には頑張らない時間を設けることが必要じゃないかなと思うんですよ。
そもそも、頑張りすぎなきゃいけない状態である時点で、何かおかしい、もしくは方向転換を考えるといいかもしれない。
下請けの仕事なら明らかに無茶でも、金の力で強引に抑え込むからしわよせが下のほうにいってしまう。
もし、ダメならほかの所にすると脅せば無理をしてでも仕事をせざるをえない。
逆にいえば、金さえ問題なければ頑張らなくても何とかなる。世間体だのやりがいだの言っているが、金を稼ぐために無茶な要求を聞かなければならない構造がある。また、仕組まれたこの構造はどうもイビツな気がする。
市場主義がある以上、お金の価値というのが強いというのは止めることができない。
為末大氏の言葉にこんなものがある。
「やればできると言うがそれは成功者の言い分であり、例えばアスリートとして成功するためにはアスリート向きの体で生まれたかどうかが99%重要なことだ」
この人は、もともと持っているgift(才能)の感覚を大事にしており、そこから伸ばす素地があってこその成功ではないかということを言っている。この発言は炎上した。だが、自分としては本当に同意できる。
医者になっている人は、勉強に向いており、患者に向き合うことに向いていた。そして治療のセンスもあった。
当然、医者といっても精神科医のようにわりと理論・臨床重視のところもあれば、外科のように手術経験が重視されることもある。
山中教授が整形外科時代に「邪魔中」とか「レジスタント」と呼ばれていた時代があったが、成功の裏側には才能の不向きを感じていた時期もあったのではないだろうか。
ブラック企業で耐えられる人はそれなりの才能があるのだろう。あの常軌を逸した環境は世界から見ても異常といわれている以上、「努力が足りない」で片づけるには乱暴すぎる。
ブラック企業に滞在するセンスと、世界で成功するセンスっていうのはまるで別物だ。ただ、前者はあまりにも多すぎて感覚が麻痺している。
一般的な会社員というのに、違う意味でハードルが高いというのはちょっとばかり考え直したほうがいいのかもしれない。