教えることができないコミュ力
コミュ力って、日本特有の察することがそれに該当するだろう。
・回りを見て動け ・気持ちを推測する ・空気を読む ・根回し ・気配り
・ただしい返答をする
これらのことは、言語を使って説明することが非常に難しい。なぜならば、毎回状況が違うためである。
だから、言葉をつかわない判断力が欲しくなる。
状況が違う:「相手(役職)、時間、金額、他の仕事との折り合い」
言葉でいうのは簡単だが、上からのしがらみとかで安易にできないこともある。
上司が同じ言葉を言うにしても、表情や雰囲気、相手の前とかで意味を変えて使ってくることもある。
だから、同じ対応では駄目で、そのたびにパターンを増やす、もしくはその場でパターンをつくる必要が出てくる。
非言語を読み取ることが苦手な人にとっては、これらの仕事をすることが苦痛なのはいうまでもない。
苦手分野でしか勝負できないから・・・。 だけど、今はこういう仕事のほうが儲かる。
大学までは、言語能力や記憶力でカバーしきれていたものが、パターン化できない、マニュアル化できない。
パターンを覚えるとなると、極端な話なら1兆とかそういう数になってしまうだろう。IQの高いタイプの人ならそういう超人的な技も可能だろう。 覚えるのにすごくエネルギーを使うから、賢い人が精神をやむ人も多いっていうのも納得がいく部分もある。
非言語を敏感に感じ取る人はどこで判断をしているのだろう?
それとも、小さい頃にもうある程度分かっている(精神年齢に応じて察する力がついている)?
発達心理学がそんなに習得できていない・・・結構痛いな。