環境のせいってなんだろう。
やる気がない記事。勝手に思いついたことを言っているだけ。いじょう。
とりあえず文字が書きたいんで書いている感じです。
【よく言われる言葉だけど・・・】
「環境のせいにするなよ!自分の努力が足りないだけだろ?」みたいな話をする人たちがいる。これは、個人的には合っている側面もあれば、間違っている側面もある。
気を付けないといけないのは、「そもそも努力をできる環境なのか?」ということ自体は言い争っている両者には見えないことである。
【結果から、過程や環境、才能が見える】
あまりにもしょうもない話だが、「過程→結果」は見えないが「結果→過程」は見える。そこから見えた過程に対し、人々はツッコミを入れる。
このツッコミというのがなかなか残酷であり、言われている本人ではコントロールができない。そこには日々の体調、メンタルを影響する作用がある。そのツッコミをもとにくいしばって頑張れる人、逆に折れる人がいる。
【努力っていう言葉は本当に分かりにくい】
下手すると、毎日好きで勝手にやっていることがやたら評価されたり、嫌で嫌でしょうがないものを涙をこらえながらやっていても評価されない。
そんなことは腐るほどある。
だから、努力している・していないなんていうことを論じるのはあまり好きではないのだ。双方同士の基準を合わせるコストがだるすぎる。
【続けられるものはやり続けてみればいいんじゃない?】
ただ、個人的に思うのは「自分で続けられるのでは?と思うというものは自分に対して素直に続けたほうがいい」ということだ。続けるということにはお金や時間を費やす必要が出てくるわけだが、急に始めるというのは意外と準備に時間がかかったりすることが多い気がする。言い方を変えれば、習慣になっていればスタートのコストが低い。
それが努力かどうか?というのは分からない。だけど、自分にとって合う項目は必然的に自分の属性としてついてきやすいものだと思っている。
自分の属性としてついてきたものはそこから発展させやすいと思う。
【新しいことを学ぶのも一手】
自分もこの状態に陥っているのだが、新しいことを学べていない気がする。
要は、既存のもののなかで伸び悩んでいるものしかない感覚があるならいつもと違う感覚のものをさわりにいくといいのかもしれない。いろんな本を読む、いろんな体験をする、すべて動かないといけない。もちろん、そのコストを払う必要があるので壁をぶち破るというところでつまづくとつらいものがあるのだが、ふとしたきっかけで動ければまた強みが増えるのではないだろうか。
それぞれ適当な話をしたが、自分が言いたいことはこんな感じだ。
やれることからやればいいんじゃないんだろうかというハードルの低い心持ちからやっていったほうが自分にとって負担にならないからそこから強みを深められればいいなと思っている。以上