社会が定義する「無能さ」についての考察
発達障害当事者であるみなさん、そうではないみなさん。こんばんわ。
さて、頭の中でならいくらでもアクセルを踏んで調子コケるタイプの人はいるだろうか。自分は特にそうなのでよくわかる。
会社員として働くうえで「どこで無能/普通」としての判断をしているのだろうか?ということをコミュニケーション要素抜きで考えることをしてみた。
【キーワードはPDCA】
本題に入る前に、PDCAとはなんですか?という話をしていかないと話の流れが分かりにくくなるので少しふれておこう。
PDCAは「Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善)」のことだ。
要は、「計画を立てて、やってみて、いいかどうか確認してダメならその部分を対策しましょうや」って話になるけど、発達障害の当事者がそのサイクル使うのって異常に脳の負担がでかい。
おそらく、仕事を覚える上でどうしてもこのサイクルを使わないといけないので、構造上社会的に死ぬ羽目になる。発達障害でない人はこのサイクルがないと仕事や普段の物事がやりにくいという感覚があるんじゃないのかなと最近思った。
【なぜ、仕事で死ぬんだろう】
まずね、当事者の場合は計画(P)の時点で死ぬ。
前頭葉の働きの関係上、時間感覚が取れないため工数の見積もりが取れない。その場合、実際にいきなり作業をやって「一か八か」の覚悟でやるしかないのだ。計画を立てている暇があるなら、さっさとやらないと仕事が進まないという非常にデンジャラスなことになる。
脳内が混乱しすぎていて目的を決めるとかそういうこと自体も怪しいパターンがあったりする。この混乱状態が悪化するとDoすらできなくなって何も進まないということも日常茶飯事だ。
毎回、このパターンにはまっている方がほとんどではないだろうか。
なお、試験勉強では得意分野の長期記憶・好奇心による没頭癖でこの計画が立てられない問題はまったく無視・カバーできてしまうので問題が露呈しない。
おそらく、仕事の時には出ないアドレナリンみたいなもので強引にねじ伏せているため脳内の覚醒レベルが低くないのだろう。そこで仕事でもできると思うと思ったほど脳が働かず試験をやっているときほど調子をこくことができなくなる。
なお、自閉症スペクトラム当事者の中には一分単位とかで計画を立てるのが好きなタイプもおり、そういう人たちはだいたいこの問題はクリアしている。(ただし、こちらのタイプはプライベートで問題を起こすタイプなのだが)
質の優劣はあるにせよ、最低限のPDCAはなんとか回せているんじゃないのかなということを感じた。ある程度のレーンがあれば組織内では少し暴れることができる。
これが「くだらないことでつまづかない」という地味だが強い武器だ。
【当事者が動きやすいフィールド】
さきほど述べたが、発達障害当事者はPDCAを回すことがかなり苦痛になってしまう脳内になっているのだ。
言い換えれば、「PDCAを回そうとすると、苦痛過ぎてやる気をなくす」状態に陥る。
では、堅苦しいPDCAを回さなくていい環境であれば強い人もいるのではないか?という発想にいきつく。その時の動きはどうなんだろうかということを考えていこう。
そう、脳内の覚醒レベルが低いのはドーパミンの受容レベルが低い・もともと分泌量が少ないなどの状態がある。
だいぶ自分が不勉強な部分があるので、どこまでが正しいのかは分からないが、コンサータ(メチルフェニデート塩酸塩)などで症状が緩和するという知見がある以上、PDCAを回すことが苦痛な状態ということを脳の生理作用によってつくられていることは間違いない。
もし、発達障害当事者が調子よくやれるとしたら「好きな分野」だ。その部分に関してはなぜかノイズが消えているのではないだろうか。自分にもその感覚があるのでよくわかる。他の人も好きな分野ではパワーを発揮しやすいが、当事者はもっとその差が著しいのでパフォーマンスの違いがそこに出てくる。
そして、嫌いなことはとことんやらない傾向にあるのでどんどんその得意分野が磨かれる傾向にある。当然ながらかける時間も長くなるのだ。
もちろん、そこに初期能力(≒習得時における努力の効率も含む)を考える必要はあるが長い時間をかけるため、平均以上になることは想定できる。
もちろん、下手の横好きで続けているがパフォーマンスがよろしくないため、評価されないものしか持っていない当事者はだいぶつらいのではないだろうか。
また、実際のパフォーマンスがすごくても「サラリーマン社会・ビジネス向き」であるかどうかは別物だ。
借金玉さんの言葉を使えば「異能持ち」ということになるだろうか。
ツイートを引用させてもらおう。
ノンフィクション界隈、あまり社会的でない異能を持った皆さんの巣窟で、あれがニートという文脈で語られているのは時代の問題という気がする。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年6月18日
異能があるから労働をして社会生活が営めるかというと、そういうわけでもない点がこの世の厳しいところです。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年6月18日
【あとがき】
「社会で役に立つ・役に立たない」というフィルターの目が現代はすごく細かい時代になっているような気がしてならない。時代が進めば進むほど、フィルターの目が細かくなり、働ける人数がどんどん減っている未来があるんじゃないかなと個人的には考えているけど、そのことに同意する人はそんなにいない。
こんなくだらないことを考えている人はいないからだ。だが、こんなくだらないことでも考えなくてはいけない気がする。そのことによって分かることがあるかもしれないからだ。勝手に考えたことがこのブログの読者の知見として参考になるならばこれほど光栄なことはない。