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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

言語性IQ優位者が「勉強だけの人」みたいにされてしまう理由

どうしてもひっかかることがありました。

 

MENSAの話はしません。というか、あんまり興味がないのでこれからもしないと思う。wais-Ⅲの言語性IQについてだけ話そう。

だから、「言語性IQ=学力テスト」ということについて深く掘り進めていきたいと思う。

まず、wais-Ⅲにおける言語性IQというのは「言語理解」と「作動記憶」の大きく分けて二つの部分に分けられる。

作動記憶は純粋に言葉を短い間に多く覚えられるか、注意力として保持しておけるかの領域なので直接言語を操るという分野としては遠いんですよ。もちろん、喋るときに短期記憶がないと処理しきれずに吃音気味になったり、頭の整理ができなかったりする。

言語理解も、作動記憶もどちらのバランスが崩れてもよいものではない。

 

さて、次の話に移りますかね。

精神科に来る言語理解優勢の患者に多い言語理解の領域ってここの領域。

<知識>  <類似>  <単語> <理解>

単純に言えばこの領域が強い傾向にあるわけだ。

少しだけ解釈の手伝いをしてくれるサイト を見つけたので引用させてもらおう。

WISC-Ⅳの“言語理解”指標: 猫の欠伸研究室

wais-Ⅲとは若干違うものの、基本構想は近いので応用できる考えかただ。

 WISC-Ⅲの群指数では、“言語理解”は、<知識>、<類似>、<単語>、<理解>の4つの下位検査で構成されていましたが、<知識>が補助検査に変更されています。

 VCIは、CHC理論の観点からは、次の2つの能力に主に関わっていると考えられます。

  1. 結晶性知能……知識、語彙、社会規範(規範は、いわばルールという意味です)
  2. 流動性推理……言葉による推理(reasoning)、状況の理解、予測

 したがって、VCIが意味するところは、語彙の豊かさや、習得知識の豊富さ、さらには、言葉による推理能力を反映するとなります。もちろん、言葉で反応する検査からなっていますので、単に言語理解の能力だけでなく、言語表現能力も影響します。

 VCIが弱い子どもたちでは、次のような特徴が共通してみられます。

  1. 言葉による理解が弱い……聞く、読む力が弱い
  2. 言語表現が苦手……話す、書く能力でつまずく
  3. 言葉による推論(言語による推理能力)が弱い

 

学校を卒業し、会社員として評価されるのは言語の中でも流動性知能というところだと思う。ただ、軽視しすぎてあまりにも物を知らない(=結晶性知能が崩壊している)とその流動性知能の基礎すらできなくなってしまうということに繋がるので注意したほうがいいと個人的には考えている。

 

結局、学力は文章能力とか推論能力に比例するといえば比例するんですよ。ただ、それは勉強しかしてこなかったこととは違う。授業を受けることという学びに関しては同じ学科で同じ授業を受けているなら学んでいる知識はまったく同じなのだ。

単純に考えれば、同じ大学を同じような成績で卒業した定型発達者の社会適応性・仕事を覚えるスピードの違いはこれだけで説明するには不十分だ。

発達障害当事者でも、定型発達者でもバイトの経験の有無はバラつきは出る。やったことがあるならまったく仕事というものの想定ができていないわけでもない。ということは、生まれ持ったIQというものの特性を少し考えていく必要がある。

発達障害要素で言語性IQの言語理解だけが優位に高い場合というのはほかの事ができない・やる気がないというよりは脳機能の言語理解の部分の吸収率が補償機能によってブーストされてるので人から見た動作性の吸収効率の悪い部分が目立ちやすい。

目立ちやすいということは、知能が底上げされるのでそれだけ期待をかけられている。割と自分と同じように動くことを当たり前だと思い込む想定がみんな同じという特性を持つ日本人の中では根強いように感じる。

ただ、その苦手が目立ちやすい部分の代替学習方法を日本は「効率が悪い!」といってあまり許す傾向にないし、満遍なくできるようにさせたいので、努力でカバーできない領域を他人がフォローする発想も割と薄い。結局、できないのもできすぎるのも苦しい羽目になる。

なぜ、言語性IQが高い人は「物知り」っぽいような感じになるのか。

 同じ勉強をしているにしても言語性IQが高いと本を読んだりするときに平均の人よりも学習効率がよいことは間違いない。あとはIQの高さも手伝って「知的好奇心による楽しさターボ」がかかる。この差はでかい。

これをもう少し具体的にいうと、ちょっとした暇つぶしに授業でやっていないようなことや他の人が見てもいないようなページの知識を勝手に習得しているので本人としては別に努力しているという感じではないのだ。

あとは、図書館で面白そうだ!と思った他の本を読んでいることは多い傾向もそれに拍車をかけている。

 

ただ、みんなが気づいていないのは動作性の部分を使わざるを得ないようなことになると言語性優位の人の学習効率は半分以下になるということだ。(当社比)

この現象が理解されないのは学習方法の違いでここまで能力が下がってしまうことが定型発達者の中でピンと来ないからだ。

「ここまで急に落ちるの?」という感覚ではなく、「あんな難しいことはできるのに、こんな簡単なことはやる気がないからできないんだ」と思い込むのは定型発達の感覚としては当たり前になっている。どういうメカニズムなのかは、丁寧に説明したほうがいいかも。

定型発達者の倍、知的能力のバランスの中にも、空間認識能力や言語能力、運動能力など、個人差間での得意・不得意はあるにしてもジェットコースターのようになることはまずありえないといってもいい。まず、その前提を頭の中に入れておいてください。

仕事をやっている当事者が違うことに取り組む時に能力差がそこまで落ち込まないため、「その人にとっての苦手レベル」の落差がありすぎる想定がまったくないからだと思う。それが苦手すぎて部署変更みたいなことって意外と少ないんじゃないかと思う。定型発達者からすれば、発達障害の苦手レベルを見ると「ここまでの苦手レベルをマイナス方向に達成するためには俺の中ではわざとやらないとできない」と思うのが通常だと思う。

だけど、発達障害者の中にはこれをわざとやっているというわけでなく「ガチでやっている」ことをわかって貰えていない。これは結構他のサイトでも説明されていることだ。

要するに、仕事を言語的に覚えてもいいなら学習効率は上がると思うのだがそうすると仕事のマニュアルとかの細かさがビッシリになる。また、本来使うべきでない能力を言語などで無理やりカバーしているため、コツを掴むまでに時間がかかる。それゆえ職場としては待っていられないということになってしまうのだ。

その代わり、ものすごい論理を組み立てて仕事を覚えるので習得が完成したときの緻密さは素晴らしい。ただ、そこまで求めていない職場が多いのでそれも不適応の原因だ。

知識やつんできた経験を使っていろんなことを考察・分析する能力は活かせないわけではないが、それは入社後すぐ使えるようなものではない。

 

頭で考えるから動けなくなるんでしょ?だったら言語を使わなければいいじゃない!という発想は「体が追いついていない」ということがをわかっていないんじゃないかと思う。

正当な方法が使えないから こうして無理やり覚えているような状態なのですよ。そもそも、勉強に苦労しなかったって人は最初から塾とかで正攻法でバリバリ勉強の習得をやっているんだけど、そういうこと指摘している話ってめったにないよね。

最初まったく分からなかったけど、仕事や経験をして自然と知識がついたって言うのはまさに動作性優位の人の発想だ。

(その代わり、話を聞いているとその場で使える知識しかついていない。だけど、仕事の実務ではそれで問題ないのだ。)

結構、よくある話に言語関係よりも立体関係(空間認識能力)のほうが強い人は文字や漢字を覚えることが苦手ということを聞く。これは文字を記号として認識する力が強いため、それぞれの画の組み立てに混乱してしまうのだそうだ。

だけど、こういうタイプは日本の雇用形式にぴったりフィットする。なぜかというと前提知識をつけなくても目の前の仕事の構造化、段取りの組み立てとかをしてこなすことに生まれつき長けている。彼らからすると言語優位者のマニアックな知識の習得のように「なぜかできてしまうんだな」という感覚である。

小さい頃文字を覚えることが苦手だったとしても、大人になっても「寺」や「延」クラスの漢字がかけないLDレベルでない限り言語性優位者ほど生活に困ることがない。それゆえ意外と問題視されにくいのでしょう。

おそらく、社会適応に関してそこまで苦戦してる感じは彼らにはないだろう。言い換えれば、社会適応は過剰な努力をしなくてもある程度できてしまう。

空気を読むということは、言い換えれば「言語化をしない」ということになるので動作性特有の勘でわかるみたいな分野が評価されるのは当然なのかもしれない。

言語を使って考えるという能力は長所として使えるのだが、空気を読むというスキルと相反してしまうのでやはりうまく運用できていない側面があるのではないかな?と思わざるを得ないことがある。

これ応用すると、小学校・中学校の体育などにスポーツ科学が浸透しないのは言語化をしないほうが好きな国民性の関係はでかいような気がするなぁ・・・

もともとスポーツが好きで楽しくないことが分からない人の授業って想定ができていないのもこういうところからきているんだろうけど、これはまた別の機会に話しましょう。