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自動車、発達障害などを扱うブログです。最近はQMAにはまっています。

社会への適応と好奇心の低下について

今回は独自の組織論について書いていこう。忘れた頃に書きたくなってくるのだ。

だいたい同じようなことを言っているが、多少味付けとかは変えている。

 

知的好奇心に言及している記事を元に書き起こしていく。

 

zakka10wasabi.hatenablog.com

 

 

zakka10wasabi.hatenablog.com

 

 

zakka10wasabi.hatenablog.com

 

よく巷で「社会人になって変わったよね」みたいな話をすることがあるが、それはだいたい肯定的な意味でとられる。

大まかな意味合いとしては「丸くなった、キチンとした」というところが多いのではないだろうか。言い方を変えれば、組織の中の仕事だけに向き合いそれに対して適応することだ。

 

会社人・組織人・ビジネスとしての仕事能力は純粋に上がるだろう。ただ、そこにはある一種の危険があるのでは?ということに気がついた。

 

物事を淡々と、要領よくこなすことだけに強くなり「純粋に面白いという気持ち」による探究心とかそういうものはすごく削られているような気がしてならないのだ。

ただ、今回のお話で対象にしているのは学生時代(もっといえば高校生の頃)から会社員っぽい振る舞いがある程度完成されているような人物には適用できない。

それはなぜかというと、彼らの素と会社で要求されるスキル/イメージはほぼ合致していることかつ何でも好き嫌いなくこなすので探究心とかそういう熱狂的な掘り下げを本当の武器にしているわけではないためだ。言い換えればそうなったとしても問題がないし、活力が落ちるわけでもないからだ。

 

組織にあんまり向かないような人が無理に組織に適応をすると、物事の好き/嫌い/得意/苦手を淡々とこなす能力は多少上がったとしても本来の武器であった探究心などを削る代償を負わなくてはならない。そうしなければ「あいつはくそやろうだ」みたいなことを言われ続ける。

例外としてその本人特有の特殊な分野で仕事ができまくれば、そんな言葉を貫いて叩けない杭のような存在になれる場合もあるが、プラマイで凡人だと厳しい側面もある。

社会に許されない才能とかも結構あったりするのでなかなか難しいところだ。

 

もちろん、好奇心を削ったところでもともと社会適合能力の高い人たちほど活躍できるような感じではない。無理はできるだけしないほうがいい。

あまりにも失うものがでかすぎて、疲弊しきった頃には元に戻れなくなる可能性が高くなるぞ。

1番最初の過去記事(日本人の知的好奇心の低さのやつ)でも言及されているように、日本人の知的好奇心は20代で衰えていると書いてある。

スウェーデンの65歳のジジイと一緒って、もう心が定年になってるよね。

これって、完全に組織に適応しすぎてしまった結果じゃないのか?と自分は思うんですよ。ただ、誰も指摘しないしもしかしたらそんなことに興味がないので言わないだけかもしれない。

 

その社会的背景が皮肉にも反映されているのが大学の科研費だ。

 

たらればさんのツイートがなかなか厳しいことを言っている。

要するに、企業の製品開発に付随する研究はやたら強いし「すぐ役に立ちそう」な側面があるから実務的・企業的にはすごく投資する傾向が出ているんですよ。

このような形である1つの目標に向かって一途に研究・開発するようなことを「ゴール・オリエンテッド」という。

逆に言えば、大学のような研究機関は「なんでこの研究が役に立つの?」みたいなことを問われる。

特に理学系などは物事の真理を追い求める学問の性質上、研究している本人ですら何の用途に使えるかわからない領域のことをひたすらやるのだ。言い換えれば、こういった分野は好奇心の強そうな変人みたいな人が得意とする分野だ。

 

ただ、最近の大学もこういった変人を排斥しようとしている動きがあるのではないかと思う。

 

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一般に、研究者と言えば、1つの物事に執着的に興味を持つ、オタク気質のちょっと変人が多いように思われています。 って・・・そんな気がするのは筆者だけでしょうか。

たしかに1つのことを突き詰める性格は、研究者には向いている性格の1つだと思います。

 

 良くも悪くも、これは素質のひとつとしては必要だと自分は考えている。

2.研究者に必要なこと

研究者に必要なことはもちろん研究成果ですが、それ以外にも必要なことがあります。 それはなんでしょうか?ちょっと考えてみました。

  • 自身の研究を正しく伝える能力
  • 他の研究者と連携して研究を進められる能力
  • 後進(これから学者を目指すあなた方のこと)を育てる能力

自身の研究を正しく伝える能力

自身の研究を正しく伝える能力とは、自分の研究成果を的確にアピールすることです。

研究成果のアピールは、最終的には論文という形でアピールされますが、それが全てではありません。 例えば、科研費などのお金を取るときや、特に若い研究者に求められるポジション獲得のためのアピール(就活と同じ)、そして研究者から一般の方への公表の仕方などです

他の研究者と連携して研究を進められる能力

次の、他の研究者と連携して研究を進められる能力とは、その文章が示すとおり、他者との協調です。 特に大きな研究は一人では出来ないため、ある程度の作業分担は必須です。 そのため、必ずしも自分自身が重視していない研究をする場面も出てくるはずです。

後進(これから学者を目指すあなた方のこと)を育てる能力

後進を育てる能力もその文章の通り、自分よりも若い研究者を育てるための能力です。 特に、大学教授というポジションについた場合には、学生の面倒を見る必要が出てきますから、必ず必要です。

あれ?会社員と変わらなくない?

こうして見ると、研究者はごく普通の会社員に求められる能力と、そう大して変わらないように思えます。 もしあなたが、人と話すのが苦手だから研究者の道に進む、と考えているなら、それは危険な選択かもしれませんね。

 

なんだろう、オタク気質同士ならクセはあるかもしれないけど結構なんだかんだ変な協調ができる気がするんだよな。要するに、過去よりも癖のない人が多くなってきて「すごいけど変人」を許容できなくなっているんじゃ?というのと、お互いのコミュニティの親和性がなくてオタク気質の人の居場所が少なくなっているのかな?と個人的には思ったかな。

 

以上から、研究者に向く性格を以下のように考えることが出来ます。

  • 研究を突き詰めるのが楽しい人(物事に対して「なぜ?」と考えることが研究の本質)
  • 他の研究者と十分にコミュニケーションが取れる人(少なくともきちんと話が出来る人。コミュニケーションは鍛えればなんとかなる)
  • 物事を教えることが好きな人(ほっといても後輩が寄ってくるような人望の厚さがあれば強い)

もちろん語学の勉強など、絶えず自分をアップグレードできる強さも必要だと思います。

(自分の興味がある)研究だけに没頭できる人はいっぱいいます。 また、人に言われて、初めて「なぜ?」に気づく人もいっぱいいます。

でも、自発的に研究を進めながら後輩の面倒を見たり、一緒に事務作業をこなせたりする、マルチタスクの人は限られます ちょっと期待値が高めですが、あなたがそういう能力を満たせるなら、就職先には困らないと思います。

これね、すごく問題になっているんだよ。赤い太い字の能力があれば強いよね?は分かるけど、言い換えれば1人で何でも回そうとしすぎてろくに研究する時間がなくなってるんじゃないの?ってことになるし、本来は研究が主な仕事のはずなのになんでそんな事務仕事優先みたいになってるの?ってことだ。

 

ツイッターでもこのことは言っているんだけど、マルチタスクできる便利屋風情を求めてどうする気だ?ってなるんですよ。どう考えても不要な仕事とかでやりたいことを優先できない研究者じゃ意味ないんだよ。

 

基礎研究があまりにもおろそかになっていると本当にまずいんです。学問の基本となる大学の教科書だって、もともとは研究した内容を凝縮したものだからそういうのを軽視したら本当にまずいと思うよ。

 

よく話が脱線するけど、この話の要は好奇心を知らず知らずのうちに低下させていることを放置させた結果が、最終的に大学の科研費が足りない、ろくに研究ができない、人生に疲れるやつが増えまくるとかにつながってくるんじゃないの?ということを自分は考えたということです。