化学系の学生よ!SDSを知っておこう
あけましておめでとうございます。本年もマイノリティ雑貨店をよろしくお願いします。
では、今年第一号の記事はSDSのことについてのお話をかなり大雑把にひとつ。
この記事は学生向きにシンプルな書き方をしてあるので、企業などで大量の合成をしている人だと説明がかなり雑です。
要望があれば、追記します。
【そもそも、SDSってなんじゃコラ?】
SDSは正式名称をSafety Date Sheet という。日本語では安全データシートという。
古い言い方では、MSDS(Material Safety Date Sheet)という言い方もするがJIS上での表記はSDSを使用する。
で、これがなんの役に立つかというと「化学物質を安全に取り扱うためにどうやって扱えばいいのか?」というのが書いてあるんですよ。
素手で触るとかぶれるから手袋をしようね! 引火性が高いから火を近づけちゃいけないよ! 水と反応するから火が出たら粉末消火器じゃないとまずいよ!みたいなこと。
あとは、何度で沸騰する・溶ける、そもそも常温で揮発するものなのか?みたいな物理化学的性質も記載されている。
【なんで知っておく必要があるのか?】
簡単ですよ。使う前に性質を知っておくことで「俺はいま、ヤバイものを扱っているから正しい対処をする」って意識を持つ必要があるってことですよ。
揮発性のものをフタ開けっ放しにしておくと蒸発して引火の原因になったり、なくなったりするのでそういったことを理解してもらうための書類です。
【どうやって見るの?】
ネットで「(化学物質名)SDS」でググると、だいたいどこかの企業がpdf形式で出している場合が多いです。
一般的な薬品なら、使用する薬品の濃度と物質名があっていればどのメーカーのSDSでも問題ありません。もし、メーカーがわかればそっちのほうが推奨です。
ただし、あんまり特殊なものや独自で作っているものは出てこないかもしれないので、それは製造メーカーに依頼する必要*1があります。
まぁ、大学生が使う薬品でそこまで特殊すぎるものは珍しいのでググればだいたい見つかります。ぶっちゃけ、メーカーに頼むまでやる必要はないです。
例として有機化学研究室で器具の洗浄にアセトンを使っていますが、そのSDSを下のリンクに張っておきますので「SDSってこういう形式なのかぁ!」ってことを覚えてもらえればいいでしょう。
実際のSDS:アセトン(三共化学株式会社から出しているものです)
【まとめ】
ぶっちゃけ、SDSだけでは分からないことが沢山あります。ただ、何も見ない状態と少しでもいいから見てある程度でもいいから情報を知っている状態は違います。
あと、ここを見ているかどうかは知らないけど大学の研究室の先生にお願いです。
薬品を使って実験をするうえで、SDSというものがあるよってことを言ってください。
あれは性質を教える上でなかなか分かりやすい教科書だと個人的には思います。
新年の挨拶とともに、これからもよろしくお願いします。
悪いやつじゃないけど、どう扱えばいいのか分からない後輩の説明書
【こいつ、どうすりゃいいんだよ !?】
さて、いろんな人のコミュニケーションや指導に悩んでいる人がいるんじゃないでしょうか。
特に製造現場の叩き上げといわれるような人は理系的な癖のある人の扱いに困っているんじゃないかと思います。
もしくは、体育会系組織の中にちょっと違うタイプの奴を指導したら不適応を起こし始めてしまったなんてことがありうると思う。
一般的にコミュニケーションが苦手といわれてしまう人たちだけど、別に好きでこうなっているわけではなくそもそも思考回路が違っている状態なのでそれを説明していきたいと思います。
ちなみに「そんなのは甘え」とかいうのは聞かないぞ。その言葉を言われると話が平行線になって最初からやり直しになってしまう。
仲良くしろとまではでいわないけど、こういう考えがベースだよということを知ってもらうだけでもぜんぜん違うからね。
もちろん、適応できるかどうかっていうのは本人の技能と指導者の技量もあるからそんなに単純にうまくいくという保証はありません。
【まずは、teruyastarさんの引用から。】
teruyastarさんの古い記事をお借りして、補足をいれつつ、まとめていくぞー
彼の記事の雑貨店アレンジバージョンだと思ってくれればいいと思いますよ!
ITの専門的なたとえが多いので、こっちのほうで少し翻訳します。
(IT知識をぜんぜん分かっていない人がやるんですけどね!)
もし、会話の本質を探るために
質問の前提をさかのぼり、抽象化して
会話するまでもない常識には触れず、
いかに例外の共通点を貫く仮定を出していこうか、、
という人は、、、まあ自分のことだが、めんどくさいw
まず通常の会話ができない
Aを言われてるのにずっと先のGを返し、
その背景を簡潔に説明できないうえ、
長々と説明しても納得してもらえそうもないので、
返答にフリーズしてしまうことがよくある。相手がAやBを返してほしいことは分かってる。
が、それはワイドショーで
視聴者が見たい物を見せるかのごとく提供することであって
僕は本心を隠したまま、ウソを付いて相手に合わせることになる。
本心ではAやBが問題ではなく、
Gの方が核心に近いと考えたからだ。
【おい、よく分からないけどこれってどういうことなの?】
これってどういうことを言っているかというと、コミュニケーションが苦手な人(以下、論理系*1と記す)はひとつの言葉から相当な情報を張り巡らせるんだよね。
【考えているときにノイズが入っている】
受け取った言葉だけじゃなくてその裏にある背景とかそういうものまで脳内で広げちゃう。歩きながらとか、机に座りながらつい発想が飛びまくる考え事をする癖があるので、それが会話に出てしまってる。
言い方を変えれば「発想の飛びのせいで情報的なゴミを吸い込んじゃってる」と表現すればよいのだろうか。
叩き上げ系の人の感覚からだと、余分な情報が多いということになっちゃう。
考え事をするときにいろんな情報を混ぜてしまう癖があるかどうかでだいぶ会話のやり方が変わってくるのだ。
論理系同士の会話なら、前提条件がある程度確立されていることが多く問題はないし、もし分からないとしても彼らはあんまり察することをしないのでそれは細かく説明するのでまったく問題ないんですね。
叩き上げ系の人からすると「常識過ぎるからそんな説明はいらねえんだよ!」ということになるんでしょうね。
teruyastarさんも論理系の指導方法を書いているが、個人的に補足したいことがあるのでそれを追記する。
【具体的にはどうすんの?@引用より】
指導1「やってみせて」あげる。
指導側としては、解釈は1つしかないはずなんだが
受ける側は10個も方法を考えるので1割しか当たらない。
つまりあれこれ可能性を考える論理バカには、
指導側の「常識」がまるで通用しない。
だから言うだけでわかるだろう、、ではなく、
目の前でやってみせる事が大事。
そして「させてみて」、1回で覚えるわけないのだから
合格点がでるまで、毎日チェックする。
【つまり、彼らに今までの常識的な指導は通用しないと思え!】
叩き上げ系の発想というのは基本的に察して分かる要素が多いんじゃないかと思うんですよ。だから、答えそのものにたどり着くのにそこまで時間がかかりにくい。
仕事の動作を見て、それをコピーする。これが彼らの基本スタイル。見れば真似すればいいのだから、これ以上どう説明するんだ?というのが言い分。
見て覚えることが得意な人はこの教えられ方がすごく楽。もしくはスポーツ的に体で覚えるということが得意な人もここにあたる。言い換えれば意味は考えて行うんだけど、動きがすべてだ!というスタンスですわ。
事務的・専門的な技術の知識なら、ある程度「共有された感覚が身についている」前提で指導がなされる。
【そもそも、論理系にはなんでその「常識」が通用しないんですか?】
まず、叩き上げ系とは常識の扱い方の前提が違うんですよ。そこが分かっていないとこの問題は解決しない。
叩き上げ系:常識を着こなす
論理系:常識という工具を使う
常識を着るという表現に違和感を覚えた人がほとんどではないだろうか。
自分が最近になっていきなり思いついた言葉だからだ。正直、自分でも意味がわからないけどこれに変わる言葉が見つからないので使っている。
常識を着るということを説明しましょう。これは日本的な常識に対して自分を偽る度合を少なくふるまえるということだ。
常識という工具を使うのは、もともとの発想が日本的な常識とは若干違うが、適応するためにそれっぽくしているだけだ。
それゆえ、常識の使い方に技術差が出てくるのは当然だ。本人が常識知らずというよりは、知っていても使うのに苦労しているような感じなのだ。本質的には合わないので深く体にしみつけようっていう発想もないし、そもそも馴染まないと思う。
常識が自然に身につかないなんて努力をしていないんじゃ?というご意見が飛んでくると思うので、それに対して答える。
「常識を工具として使う」ことすらしようとしない場合、もっとぶっ飛んだ行動しますけど?って言うしかないよね。根底で納得はしていないけど、それでもマシに運用しようと思っているんですよ。
【"話を聞いていないように見える"後輩の指導について】
先ほどの話に加え、この項目をつけさせてもらった。別に彼は話を聞いていないわけじゃない。口頭では長すぎて覚えられないため、頭に負担がかかっているだけだ。
またあとで話をするが、基本的に論理系の人は平常時の緊張度が高い。
あえて赤字をつけた。指導で困っている人は「こいつ、理解力ないのでは?」みたいなことになるんだけど、指導される側のワーキングメモリのポテンシャルが全員同じだと思うなよ!ってことを追記する。
これね、何がよいかっていうと指導者自身が何を言ったのかということをはっきりさせることができるんだよ。
通常ならさらっとした説明でも覚えられる人が多いのだろうけど、いっぱいいっぱいになっているだなんて想像もしていないんじゃないの?
【きついこというと、指導者は指導を受ける側の状況を理解していないのでは?】
だから、こういう愚痴を言い出す。(ADHD記事の引用です)
「ああいう人って、『これがこうでこうでこうで…この部分だけ△△です』って説明しても、全然理解しなくて、最後の部分だけ耳に残って『全部△△』みたいに解釈して猛烈な勢いで反論してきたりするのよね。面倒くさいわぁ。全部紙に書いて一個ずつ説明してあげなきゃ理解できないのよね」
これって、本人の言語理解力とかもあるかもしれないけどそもそもワーキングメモリが足りていなくて情報が効率よく入っていないことを考えてますか?
ビジネス上の会話だから後輩は表面上、普通っぽく見せているけど実は口頭だけの指示で結構負担かかっている場合があるんですよ。
ワーキングメモリが足りない場合は大きく分けて3つある。
- ①ワーキングメモリの量が平均より少ない(平常時でもいっぱいいっぱい)
- ②ワーキングメモリは普通だが、常に脳内ノイズが多くて事実上足りない状況
- ③気がつかないうちに緊張しすぎて、ワーキングメモリを消費している場合
【仕事になると会話が通じなくなるメカニズム】
よく観察してみると、楽しい平常時の会話・雑談に問題のないタイプが多いはずだ。もし該当するなら、緊張度の高さと脳内ノイズに関して対処すればいい。
上の1~3の中で、多い原因はだいたい2と3だ。論理系の人がやりがちなのは2、仕事で緊張しまくっている自覚のある人は3。
1は関係ないとはいわないけど、どちらかといえば補助的な要素だと考えてもらえばよいだろう。ポテンシャル以上に情報が分別されずにたくさん入ってくるのが問題なのだ。
脳内ノイズの対処は⇒上部にある【具体的にはどうすんの?@引用より】の見出しの部分を確認してもらえればいい。もしくはteruyastarさんの記事も合わせてみてもらえば対処としては十分だと思う。
彼らは他の人が常識で無視するようないろんな要素を1から考えてしまうから遅いように感じるだけの場合が多い。
緊張度対策については、しつこいようだがこの秀逸な記事をもう一度。
【面倒くさいので、適当にまとめるとこういうこと。】
ただ頑張る方向が間違っているので、まるでハムスターが滑車の中を回るが如く、延々と前に進まないところで必死に走って空回りしているだけなのだ。
頑張っているけど、どこがどのように空回りしてるの?ということを図示でもなんでもいい。あとは変にプレッシャーを与えすぎないことだ。
いつもはそこまで緊張度の高くない叩き上げ系と同じようにプレッシャーをかけてやれば動いてくれるという常識は捨てたほうがいい。
「今までの発想と逆だから社会人として真面目っぽくない指導なんだけど、これでいいのか?」という意見が飛んでくると思うが、それに関して自分のの答えは「ああ、問題ない。」と答えるしかない。
最終的な目的は、一人前になればいいじゃんって話だよね。
【後輩の要領の良さでごまかしている要素があるんじゃないの?】
教え方の形式に小うるさい人がそれだけいるってことじゃないんですかね。
たまにいるんだよ、体育会系っぽい指導じゃないと気に入らないという輩がね。
丁寧な指導したら、それについて文句言うやつを何回見てきたか。
常識で通用しない相手に今まで通じていた常識的な指導を考えたら負けなんだよ。
要するに、相手によって指導方法を変えるということを恐れるんじゃないよ!って話。
自分もあまりでかいことは言えるような立場ではないが、指導を失敗した!って言う人はだいたいこの指導方法のやり方の固執でやられているんじゃないかと思うんだ。
本当に指導力が高いっていうのはね、要領の悪い人/世渡りの下手なやつでもわかりやすい説明・からだの動かし方をさせることができるってことなんだよ。
バランスよく採用したはずなのに体育会系出身だけしか残っていないなんて職場だったら、指導要素をもう一度見直す必要があるんじゃないの?
【まとめ・追記】
結局、自分が思ったのは「日本人は指導方法を同じにしなくてはいけないし、その指導方法で後輩も他の人みたいに伸びてくれないといけない」みたいな思想が心のどこかでこびりついているんじゃないかなってことなんですよ。
言い方を変えれば、日本の教育システムは整備されているようで実はそんなにレベルが高くできているわけではないんだと思うんだよ。まだ伸びしろがあるけどあんまりその部分を注目していない。
だいたい要領のいい人が出世しやすいから「本人の努力が足りない」みたいな方向にいきがちなことが多いんですよ。
教わる本人もさぼっていてはいけない。ただ、何もわからない人が努力できる領域っていうのは案外そこまで多くないと思うのも事実。
まずはその点を頭に入れておく必要がある。それを知らずに”今までの常識的”な指導でゴリ押ししてもうまくいくはずがないよね~ということですよ。
それってどっちもすごい消耗ばかりして何にも進まない。
フォローしておくと、指導者がすべて悪いわけでもない。ほかの大多数の人が今までのやり方でうまく行っていたのだから、根本的に間違っているわけではない。
そのまま伸びて仕事を回せるような仕組みを作ってきた実績はあるのだからさ。
ただ、今までのパターンでうまくいかないときもたまにはある。
この記事を通じて指導の糸口が見つかるとよいのではないか?ということを個人的には思ったのですよ。
ただ、もし違ったパターンの人が来たら性質はしっかり見極めておく必要があるということと、分かった上でうまく対応できることは大きく違ってくると思いますよ。根っから人の性質を変えることはできない。
だからこそ、指導する側は指導される側の性質とかをよく見ないといけないんですよ。
*1:注意:論理系=理系の人ではありません。一番近い言葉が「学者肌」だと思います。 日本の仕事の仕方に最適化している人のことを便宜上「叩き上げ系」として分類しているだけです。バリバリ技術系の人でも、体育会系風のさわやかな人はだいたい叩き上げ系です。
好奇心を失った者は莫迦だ。
【なんで、いきなりこんなこと言い出したの?】
夏目漱石の「精神的に向上心のないものは莫迦だ」をもじりました。
これは自分への戒めとしての記事だ。言い換えれば、ちょっと面倒くさい反省文のようなものだと思ってくれればいい。
結論を言うと、この雑貨店のアクセス数はゆるやかではあるものの右肩上がりをずっと続けている。最近は、日によって変動は大きいが平均700PVくらいのペースだ。
月当たりで換算すれば2万PVちょっとくらいはいける計算になるし、前月のPVがだいたい19800くらいだった。ただし、このPVにあんまり中身があるとは思っていないのも事実だ。
それはなぜか? 記事の内容にあまり中身がない状態かつ、更新頻度が低い。
言い換えれば挙がっている理由が検索SEOに偶然ちょっと引っかかっただけという状態だからだ。
人気記事トップ3をあげていこう。
現時点でのアクセストップ3はこれらのSEOだけ強いタイプの記事だ。
言いかたを変えれば、図鑑としての機能を持っているものが多い感じだ。
【アンタが言うほかのタイプの記事って何よ?に答えよう】
それ以外の記事はだいたい、社会と組織適合性、発達障害のことを絡めたことに関してウダウダくだらないことを言ってるだけの状態になっている。
どちらのタイプの記事にせよ、暗すぎるものがほとんど占めているってことなのかもしれない。少し方向性を変えたものが「はやてとゆうこ」になるのだが、感性として一般的なものとはズレがある。
でも、一定数は興味を持ってくれる人がいるのだから他の切り口を考える必要がある。
【なんかパッとしないのは更新頻度が低いことのほうが問題なのだ。】
思いつく理由をおおまかに考えてみる。
・そもそも、話しすぎたのではないか?(=ネタ切れ)
⇒同じような繰り返しをしているということはネタ切れという要素がないわけではない。でも、他ブログではネタの提供が途切れていないことが結構ある。
すなわち、ネタの入れ方とか、整理の仕方に問題があると考えるしかない。
ネタをブログに入れるということは、「これ、面白そうだからマジで語ってみよう」ということに繋がる。
もし、自分すら面白いと思えずに使えないわけではないデータの事実だけを淡々と話していたらそれは「あらそうですか。」で終わる残念なものとなる。
ブログを書くときには楽しいことを追求するする力が必要だ。
【好奇心が落ちると莫迦になる理由】
自分の好奇心が枯れると、人が面白いかどうかという観点を考えるという力が格段に落ちる。
Twitterでもなんか考察して発言したというつぶやきのようなものが減ったと感じたら特に注意したほうがいい。言い換えるなら、自分のツイートがつまらなくなってきたなと感じたらブログのパワーもそれに比例してダウンしている。
y=ax+bという一次関数でいうなら、aの傾きがマイナスの状態だ。この場合の傾きaのは「好奇心の枯渇度合い」のことだ。
これが上がっている指標としては精神的に疲れたり、会社などで目の前の仕事だけに没頭しすぎて周りが見えていなくなっているときだ。
Twitterを楽しんでいるつもりでも、実は漫然と見ているだけ・語るパワーがなくてRTに頼りまくって主張を代用しているときがすごく危ない。
まともにツイートできるパワーがなくなったなと思ったら、それは好奇心的な感性が大分落ちている。言い換えれば、学ぼうとしなくなっている状態になっている。
だんだんそれを続けていくと知能指数が落ちるとか、仕事能力が落ちるという意味ではない「バカ」になっていくよ。なくなった状態がまずいわけではなく、なくなったことに気づかないのが本当にやばいのだ。
最近、ツイッターのフォロワーがやっと100を超えることができたがあまりにもそれはゆっくりすぎる状態だった。なんかものすごく疲れて面白いツイートっぽいのがあまりにもできていないような感じがあまりにもあった。
だからこそ、この言葉を題名にした。
定型発達者の強みは「安定度」と「とりあえずこなせる事」だと思う
【はじめに】
今回の話は発達障害の人から見て、定型発達の人がなぜ組織でそれなりに動けるのかという観点で話をしていきます。
仕事で教育を担当する方も参考にされるとよいのかもしれません。
(今回、引用はしないけどイメージ用資料として使いたいもの)
↓
1個目の資料(苦労している人の背景)
2個目の資料 (本題の発想はこっちで動いています)
【安定度ってなんですか?】
物事の理解・仕事の習得に関してのことを話していこう。
発達障害の人の場合は仕事の対策もせずいきなりできたり、今までかなり時間をかけていたが急に能力が上がったりすることがある。
教育者としてはすごくハラハラするだろう。正直、当事者としてもできるかどうかを適性と環境のマッチングという運に任せる要素がでかく、能力成長としては不安定そのものだ。
ほかの人たちを見ていると、そういったブレの要素がかなり少ないように感じた。
最初のスタートは確実に一緒なんだけど、ある程度は感覚で覚えられるため必要以上に頭でインプットしていないからそこまで身体的に無理が来ない。
無理がこないというと語弊があるのだが、「感覚」で動き方そのものだけはそれっぽく振舞えるんですわ。
仕事のできる定型発達とできない定型発達の差は共通に持っている「感覚習得」の方法の習得効率と、「言語的なインプット」を後に効率よく詰め込めるかどうかだ。
そこらへんが業務に必要な資格取得などの能力にも関わってくる。=IQの差となるわけ。
【発達障害の人が仕事の習得に苦戦するわけ】
発達障害の人の場合は本来持っているべき感覚が組織での「空気読み」によって鈍くなるか、ステータス的にあんまり使えないことが多く、言語的なインプットのみで強引に適応するゆえかなり負担がでかい。
凍ったバナナで釘をたたいているうちに溶けてきてグシャっと潰れちゃう感じだ。他の人からは愚者扱いされる。
ごめんなさい、ふざけました。
例えば、6ヵ月までに仕事を覚えきるというのは安定した習得能力を前提とした教育スタイルだ。細かい要素があるので、本当はもっと時間がかかるのだろう。それでも、想定されたスケジュールとしての枠組みにはまりこめる安定感があるわけだ。
もっと細分化して言うなら、日にちごとに能力が伸びている確証があるのだ。
昨日はこれができた、今日はこれができた。それを安定して続けられることだけなんだなってことに気がついた。
【とりあえずこなせる事とは何ぞや?】
これはどういうことかというと、興味のあることはもちろん強い。でも、あんまり興味のないことも及第点を出せるだけのパフォーマンスを発揮できる。
発達障害の人はそれが0か100か?みたいなことになる。
3個目の資料(堀江くらはさんの話+解説)
自分の書いた内容をここから持ってきましょう。
言い方を変えれば、社会適応能力がすごく高い人たちは興味のあること以外に対してパフォーマンスがガタ落ちする人のことがあまり良くわかっていないのだ。
逆に好奇心で動く人というのは強い分野に関して突き詰めれば伸びるタイプなのだが社会的な教育上のフォーマットにはまっていないためついつい切り捨てられがちだし、過小評価は避けられない。その要素で日本が失っている部分があるんじゃないかと自分は危惧しているが、それが具体的に何なのかはまだつかめていない。
定型発達の人の努力の感覚はくらはさんのお姉さんみたいに自分に厳しいのが正統派みたいな扱いになっているのだと思う。好きで繰り返しまくっていたら勝手に能力がついたなんていう発想の人をあまり見たことがない。
外国ではどうなのかは知らないが、日本であまりそういう発想で生きている人を見ることはすごく少ないんだなという実感はものすごくある。
【ビジネスっぽさが合わない人もいるんですよ!】
赤字で書いた日本が失っている部分っていうのは、どこかビジネスっぽくない人が生きやすい領域ではないかと思うんですよ。
「目の前のことをこなす」能力は大事だとは思う。
でも、組織の中で動き回ることに最適化しすぎちゃう。デキる人にはなれると思うんだよね。でも、それだけっていう状態はあんまり健全じゃないなって気がすごいするんですよ。
バリバリやっててすごいんだけどカチカチというか、なんかピンとこない状態。
いいたとえがなくて申し訳ないのだが、ビジネスっぽすぎる雰囲気からズレた人の発想って、なかなか面白いんですよ。あんまり見ないからこそ、注目される要素がある。
ただ、日本だとその要素があまりにも受け入れなさ過ぎるんだよな。だいたいは病んで人生真っ暗コースが多かったりする。すごくもったいない感じがして好きになれない。
定型発達的な要素でバリバリやる人も重要だと思いますよ。だけど、もう少し人のタイプにたいして受け入れられるバッファみたいなものがあると日本には生きやすさが出てくるんじゃないかなって。
社会復帰と日常生活のギャップが大きすぎませんかね?
【まず、はじめに】
ここでは、社会復帰を「正社員として給料をもらい文化的な最低限の生活ができる」という定義で話を進めていく。自営業でもある程度応用できる概念なので、日本で一般的な進路として見なされる会社員をベースに解説をする。
自営業の場合はどっちかというと組織適応性よりもスキルがものを言うため、今回は割愛させてもらう。
これから「社会復帰バンドギャップ」という言葉を使う。
バンドギャップというのは半導体の中を電流が流れるために最低限必要なエネルギーのことだが、ちゃんと説明すると議題が終わらないので、これが大きいと社会復帰が大変なんだなってことだけわかっていればいいです。
半導体の概念をわかっている人はこの記事の理解は速いと思います。マジで。
【社会復帰バンドギャップって何ですか?】
一番シンプルな理解はこんな感じ。
跳び箱=社会復帰バンドギャップ
跳び箱が8段あります。1番下は床です。でも、2段目~7段目は跳び箱が邪魔して進めません。だからエネルギーが8段を超える必要があります。
この8段目は、会社への内定だ。
しかし、新卒で入った会社でうつ病になったり、過労や怪我でやめざるを得なくなると社会復帰バンドギャップは上がり、跳び箱が30段くらいまで上がる。
もちろん、これは脚力とフォームを鍛えることだけが条件だ。決してジャンプ台の性能を上げる、跳び箱の段数を下げるなどという大それたことはできないのだ。
【日本の組織は無茶ぶりに対応できる人だけに優しい】
うつ病の療養をしている人はものすごく努力をしている。語弊があるのかもしれないが、脳がエネルギー切れを起こしている状態から復帰することは簡単ではない。
社会復帰バンドギャップが高くなると本人が一生懸命努力してジャンプしても飛び越えるための跳び箱に激突する可能性がかなりあがっちゃうんですよ。
組織的には「君はいらない。いくら努力していようと私の知った話ではない」と言い捨てる。なぜ、改善されないのか。
それはいろんな国や人から日本の会社の労働状況がひどいと指摘されても、空気を呼んで雰囲気が乱されないことだけを彼らは最優先するからだ。
そんなゆがんだ「修羅の国」状態になっている内部事情を平然と切り抜ける人だけがほしいと彼らはいっているわけですよ。
【組織適応性を素で持っていますか?】
これだけでは足りない。怪我や病気以外で会社員として在籍できなくなるリスクも考えなくてはいけないのだ。
要は、「修羅の国」状態の組織で根っから自然に振舞えなければ社会復帰バンドギャップを上げてしまうきっかけを作ることになるんですね。
【組織適応性リスト】
日本の履歴書社会における社会復帰バンドギャップを上げてしまうリスクレベルを
「クラス1」「クラス2」「クラス3」「クラス4」として分類。
具体的にはこんな感じだ。
クラス1:新卒からずっと同じ会社で職歴を途切れなく勤めている人。
もしくは転職はキャリアアップのために行っている。
雰囲気が根っからサラリーマンっぽい人。
自分を組織に染めることに抵抗がない。
組織にいると頭がさえる人
ーーーーーーーーーー(ここからは注意!!!)-------------
クラス2:面接がうまくいかず、非正規で生活せざるを得ない人。
(給料以外はホワイトな場合)
本当は会社員向きじゃないけどギリギリ組織人っぽく振舞える人。
(これはどんなにホワイトな正社員だろうと関係ない話)
組織にいると、所属していない頃に比べてなんか頭がボケてくる人
クラス3:予期せぬ事態で会社員を辞めざるを得なくなった人。
組織自体にものすごくストレスを感じ、表面上ですら振舞えない人。
ブラック企業で無理やり適応している人。
クラス4:バイトの面接にもはじかれ、職歴ゼロが長い。
精神を病んでしまい、それが重篤化しているなど。
【クラス1~クラス4までの説明・解説】
ぶっちゃけ、日本の会社の指標ではクラス1>>>>クラス2>クラス3≒クラス4だと思ってくれればいい。1と2の境目は異常にでかい。
下手すれば、クラス1がクラス2にあがる可能性だってありますよ?
ブラック企業の正社員でギリギリ生きている人もリスクの観点から見ればほとんどクラス4に近い。やり手だと出世して打破してしまう人がいるが、そんなやつはめったにいねえ!
生活できる給料を安定して貰うにはクラス1かクラス2の領域まで持っていく必要がある。正直、クラス2ですら危ないと思っています。自分が実際にそうだから。
【自分のキャパを超えるような組織適応はするな!】
しかし、クラス2レベルの人がクラス1レベルまで上げるには実行コスト・精神コストがあまりにも高すぎる。この精神コストで病んでしまったら何の意味もないんですよ。
そのことを自覚しながら生きていく必要がある。周りが社会適応性に対しあまりにもうるさい場合、適当に流しておかないとマジでやばいです。以上。
LINEと現実の区別があいまいな人がいるような気がする
めんどうくさいので短めに書きます。
うまくいえないんだけど、表現がこれしか思いつかなかった。
頭を整理しながら書いていないので、また書き直すかも。
【たわいもない話に対して優先順位が高すぎるんじゃないの?】
返信をすぐにしないと仲間はずれみたいなこといってるけど、それってよっぽどスマホにかじりついていないと無理だよね?
時間とか日程、集合場所、持ち物などの必要な連絡事項のメッセージは見とくべきだとは思う。運転中以外、連絡掲示板としての機能として割と強い。
問題となっているのはちょっとした雑談だ。
【イライラの沸点が低くなっているのかも。】
既読がついてキレるとかいうけど、どうでもいい話にかじりつけるくらい暇のときでいいじゃん。考えごとしたいときとかには結構うるさいんじゃないかね。
いちいち「俺、考えていることあるからまた今度」とかクソだるすぎませんか。
それとも、あれなの?LINEがないと暇すぎて死んじゃうの?ってくらい電車とかでスマホ見てる人が多いのは素早く返信病じゃないけど、そんな感じの使い方に慣れすぎているってことだ。
正直、この記事はずっと人と話しているのがすきなタイプにはあんまり同意されないと思って書いているんですよ。なんでかって、人と話さない時間を作らないと疲れる人のLINEの使い方書いているだけだもん。
だるくなった。終わります。
暴走族は組織適応性が高いのでは?
ふざけたタイトルだと思うかもしれないけど、これ結構真面目に言っています
【なんでそんなことを言い出すのか?】
世間的に暴走族は社会的不適合って結構いわれる。そこには実際に被害を受けている人がいるからだ。めっちゃブンブンうるさいし、いきなり車の間に割り込んできたりして危険だ。今はそれほどないけど、昭和のときは組同士の抗争や殴り合いなんていうのもあった。そもそも犯罪やってるから悪いことをやっていることは事実だ。
ただ彼らの中には更生して会社員になる確率が少なくはないんだ。
だからこそ少し考えてみることにしたんですよ。
社会不適合ってどういう種類があるのか?って考えたことってありますか。
よく考えてみるとこの「社会不適合」ってすごい曖昧な言葉なんですよ。
それについて考えていきたいけど、まず前提が必要だ。
【あなたは社会人って言葉を真面目に考えたことがありますか?】
さて、日本の社会の前提について。日本独特の言葉として社会人という言葉がある。ここに社会不適合が曖昧になりがちな要素が隠れている。
そう、みなさんもご存知のとおり社会人というのは会社員のことだ。それも派遣社員やアルバイトではなく正規雇用を受けている人に限定される。脱社畜ブログの日野さんもかなり古い記事において言及しているが、いまでも余裕で通用する記事なので一度見ていただくとすごくわかりやすい。
ビジネス方面に舵を切ってからは見る頻度が減ってしまったが、過去の記事は結構秀逸なものが多いのでほかの記事もぜひ参考にしていただくとよいと思います。
自分が変わっていないということであれば、指摘されるのだろうけどね。
社会人という言葉は、字義通り解釈すると「社会の一員」ということになるだろう。しかし、現実には社会人とは「定職についている人」を指す言葉として使われる。学生は当然入らないし、フリーターも社会人としてみなされない場合が多い。
この、学生やフリーターが社会の一員ではない、という捉え方はおそろしく乱暴だと僕は思う。学生やフリーターだって、人に会うし、物も買う。お金も稼ぐ。立派に社会生活を営んでるじゃないか。山奥に一人でこもって狩猟採集民のような生活でもしていない限り、人はみんな社会人のはずだ。
むしろ、この言葉は正社員として就職して働かなければ社会の一員ではない、といった狭量で差別主義的な思想によって支えられている。「社会人としては失格」や「社会人なら◯◯するのは常識」といったテンプレ表現は、単なる生きるための手段に過ぎない労働を、過度に崇高なものにして、それができない人を必要以上に責めるために使われている。
色を赤くした部分は特に重要な指摘をしている。
要するに、社会人という言葉があるということは能力によって受けている待遇よりも、正規の所属をしているかどうかに対して日本人はすごくうるさいことになる。
日本の基準で言う、正規な所属をうけるためには何が必要か?それは組織適応性だ。
【社会人という言葉は、組織人のための言葉だ!】
わかりやすい例をひとつ。
ホリエモンはすごく仕事が出来る。いらつく人もいるかもしれないが、これは事実だ。
24歳で会社を作り、すごく儲けた。インサイダー取引の件で投獄されてしまったものの、もう一度復帰してTV出演や経営をバリバリこなしている。
では、彼は会社員として活躍できそうな感じの男だろうか?
自分も含め、誰もこの問いに首を縦に振ることはないと思う。彼には組織適応性がないからだ。能力があってもいろんなしがらみや規則のせいで空気を読んだり行動を止めたりしなければいけない。
会社員的にいう斬新な発想というのは、あくまで社会の常識の中におさめなければいけないのだ。実力は劣っても、常識っぽく見せる努力がそれ以上に必要だ。
仕事能力は高いから成果は出せると思う。でも、そんな状態に耐えて行動できるか?って話ですよ。もしどうしてもやるとしたら、会社の規則とかクソクラエみたいに思うんじゃないかな。
何が言いたいのがわからない人向けに言い換えれば、上司や一般常識、ブランドの中で都合よく扱えるような状態でなければそれがどんなに画期的であろうと受け入れられることはない。言い方は悪いが、小うるさい連中のご機嫌をとる必要がある。
【ブラック企業というのは、暴走族と本質は一緒】
両者の本質は組織という集団の単位で法律違反を犯すことだ。
ただ、違うのは違反する法律が労働基準法(ブラック企業)か道路交通法+市の迷惑防止条例(暴走族)かというくらいではないだろうか。
前者は曲がりなりにも書類上、お役所に認められた組織なので暴走族ほどの取り締まりは受けないが、こうした組織で働く日本国民にとっていい影響を与えていないことは事実だ。
暴走族に焦点を当てて話をしましょう。
ヤンキーとかチンピラの世界はアウトローだが、本質は上下関係の厳しい体育会の世界だ。会社に好まれるのは運動部出身の体育会系だが、背景は違えどノリがそのまま通用するやつらなんですよ。
2つ前の記事でも言ったけど、野球部の強豪高校のやつらは裏でのエピソードが暴れたヤンキーと大して変わりない。PL学園のいじめの話とか胸糞悪すぎる。
暴走族に入るということは、組織の中でうまくやっていく必要があるということだ。
そう、ここで重要なのは日本の学校教育が嫌いなことと組織適応性がないことは別のものとして考えなければいけないということ。
昔、自分は「なんでヤンキーはわざわざグレてまで学校みたいに厳しくされる集団なんかにまた入りたがるんだ?」ということを本気で考えたことがある。
ある人に聞いたら「あの厳しい感覚にしびれるんじゃないの?」という答えが返ってきた。だが、それはとてもではないが納得できる返答ではなかった。
その答えがここ最近になってわかり始めたような感じだ。
【教師が嫌いなのに、厳しい組織に入る理由】
学校が嫌い。先公が嫌い。でも、後者のストレス要因って本質的には問題が解決していないんだよ。なんでかっていうと暴走族の先輩と学校の先生って自分が従わなくてはいけない上位の相手という点ではまったく一緒だからさ。
でも、彼らはそこに入る。なぜなら、組織の中に入っていくことが嫌ではないからだ。
組織適応性のないアウトローというのは絶対に集団で悪さをしようなんて考えることはしないんだよ。だから、グレようという気にもならない。集団で暴走するためにはチームワークが必要だ。
「男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学」という男性学を専攻にしている田中俊之先生の本に次のような暴走族の話が書いてある。
誤解されているかもしれませんが、暴走族は非常に統率のとれた集団です。上下関係は厳しく、基本的に20歳で卒業していきます。また、公道で暴走行為をするためには、役割分担が重要です。例えば、警察をまく係がいたり、十字路での衝突事故を防ぐために道を塞ぐ係がいたりします。要するに、暴走族内部のルールを遵守し、しっかりとした集団行動をとる必要があるのです。なお、妙に詳しいと思われるかもしれませんが、経験はまったくありません。
やってることは間違いなくいいことじゃない。でも、統率は取れているので企業的な要素持っているんですよ彼らは。だから暴走族が更生して・・・会社員でバリバリみたいなエピソードがあるけどあれってそんなに方向性がずれているわけじゃないんだよね。
だから、ブラック企業って言い換えれば経済界のヤンキーやDQNみたいな感じなんですよ。ブラックとして名高いワタミやすき家は最悪のヤンキー・ヤクザ組織の関東連合みたいなものにあたるんじゃないだろうか。
【組織に疲れた人へ】
今の日本は構造上どうしても会社員としての生き方を求められちゃう。だから無駄に組織適応性を問われてしまうわけだ。自分だけの小さな組織というのをすごく作りにくい。だからこそ、人生に疲れて自殺をする人が増えているのかもしれない。
組織適応性がないことを自覚しているが、会社員として嫌々働けていられる人はまだラッキーだと思う。
「うるせえ」とか思いながらふてぶてしく社会適応したフリをできているなら儲けものだ。どのみち本当の意味で適応するなんてことは自分にとってもきつくなるだろうから、無理に「社会人っぽくしようと意識すること」はおすすめしない。
どっちみち、そんなガラにもないことしたところでボロが出るのは時間の問題だ。
ただ、「うるせえ」とも思えずに日々憂鬱な気分で死にたいというのなら辞職を想定するという選択肢は持っておいたほうがいい。
精神を壊してしまってからでは復帰をすることはすごく難しい。まぁ、そういう壊して云々の話は彼のほうが実体験からもっと深いことを述べているのでここのブログより説得力あると思いますぜ。
組織適応性がないなと感じている人にはもう一言。
【"社会の常識"とやらに過剰適応するな!】
別にルールや規則を破れなんていっているわけじゃない。
自分は組織だけのために生きているわけじゃないということ。それは自分のためかもしれないし、友達のためかもしれない。組織に所属していれば経済的に生かしてくれるレベルは上がる。だけど、組織と自分の区別はつけておいたほうがいい。
これをもっと具体的に言うと、自分の所属組織=社会みたいな感じになって大学生や子供に説教するような大人になるなということだ。この手の説教をしてくる人の話はあくまで組織内の振る舞いだけに関してであり、電車内などの「公共社会」まで言及はしていない。
わざとではないのに、軽く当たったくらいであからさまに電車の中で舌打ちするようなスーツの男を自分は何人見てきただろうか。まぁ、しょうがないなと思うようになりました。(=あきらめた)
スーパーなどで店員に威張る人も同類だ。
その組織内の正しい振る舞いも本当にいいのか?と思うくらいがちょうどいい。常識が身にあってるならそこに関してはもう何も言いません。
日本の人たちは意外と狭い価値観で生きることに慣れすぎている。
労働時間が長く、会社という狭い世界で生きているから「社会では通用しない」みたいな話がある程度通じてしまうように感じるだろう。
でも、そういう状態って本当にいいのか?って考える必要があると思いますよ。